過敏反応とアレルギーの発見

 免疫学は、有害な病原性微生物が原因となる感染症での「2度なし現象」の発見と、そのメカニズムの解明により進歩しました。しかし、無害な物質に対しても繰り返し刺激されると過敏な生体応答としての免疫応答が生じることが明らかとなるにつれ、有害な病原微生物に対する免疫応答と区別して、「過敏反応」や「アレルギー」と呼ばれる免疫応答が存在することがわかってきました。

 アレルギーや過敏反応と呼ばれる反応は100年ほど前から詳細に記載されています。例えば、結核菌に感染した動物の皮膚に、再び結核菌を接種すると、未感染の動物と比較して局所に非常に強い応答が現れることをロベルト・コッホは発見しました。この発見にちなんで名付けられた「コッホ現象」と呼ばれるアレルギー反応があります。この言葉は、私達の生活の中では、結婚して子どもを持つと聞くことがあります。通常は、赤ちゃんにBCG接種したあとに一ヶ月ほどたって、接種した場所にもっとも強い免疫反応が現れるのですが、接種後数日で強い免疫反応が現れる場合があります。これは、BCG接種以前に、結核菌や似た菌に感染していた場合に発生すると考えられていますが、「コッホ現象」と呼ばれるアレルギー反応の一つとして理解されています。

 

 過剰な免疫応答は、この他にも報告されています。1902年、リチェットとボーチャーは、イソギンチャクの毒をイヌに接種し、その後、生き残ったイヌに少量の同じイソギンチャクの毒を接種すると、イヌは呼吸困難や下痢などの激しい全身症状を示して死ぬことを報告し、これを「アナフィラキシー」と命名しました。また、1903年には、フランスの生理学者であるアルサスが、牛の血清を、ウサギの皮内に繰り返し注射することで、注射した場所に潰瘍を形成することを報告しました。この反応は「アルサス(アルツス)反応」と呼ばれています。「アルサス反応」は、動物の皮内に抗原(タンパク質)を接種すると、血管周辺に、これに対する抗体とで形成される抗原抗体複合体による「過敏反応」の一つとして現在は理解され、「III型過敏反応」に分類されています。このような血清を繰り返し投与することで生じることから血清病と呼ばれることもありました。

 

 また、1923年には、コカとクックは、遺伝性の原因不明の奇妙な病気として「過敏反応」の一種をアトピーと命名しています。免疫応答は、外来の病原体から身を守る自分にとって有利な反応ですが、上記の生体応答は、過剰な応答のために、病原性の無いものに対しも過剰に反応し、自己を傷つけてしまう免疫応答です。このような自分にとって不利な免疫反応を総称して「過敏反応」や「アレルギー」と呼んでいます。歴史を振り返ると、過敏反応やアレルギーと呼ばれる反応のもっとも古い記載は、紀元前2641年頃に、エジプト第一王朝の始祖であるメネス王が蜂に刺されて死亡した記録だと言われています。

 

 「アレルギー」という言葉は、1906年、クレメンス・フォン・ピルケにより、通常とは異なる免疫応答を指す言葉として考案されました。「アレルギー」や「過敏反応」と呼ばれる免疫応答は、これらを示す人から示さない人へと血清を介して伝えることができることや、時にはリンパ球を介して伝えることができることが当時から知られていました。「アレルギー」と「過敏反応」は教科書によっては同じ意味を持つ言葉として使用されている場合もあれば、アレルギーは、IgEを介した「I型過敏反応」のみを指す言葉として使用されることもあります。海外では厳密に区別して使用されることもありますが、最近の日本では、「アレルギー」と「過敏反応」はほぼ同義語として使われることが多いようです。

 

 このI型過敏反応の原因となるIgEを発見したのは日本人の石坂公成です。石坂公成は、1957年にアメリカのダン・キャンベルの元へ留学し、アメリカでのアレルギーの研究を始めました。その後、一度は日本に帰国しましたが、再び渡米し、デンバーの小児喘息研究所へと赴任し、そこでIgEを発見しました。当時は、アレルギー患者の血清を正常の人の皮内に注射し、翌日、アレルゲンをその場所に注射するとアレルギー性反応が生じることが知られていました。これは、アレルギーを引き起こす原因となる抗原(アレルゲン)に対する、抗体様の物質が血清中に存在するためであると考えられ、これをレアギンと呼んでいました。石坂は自分の背中の皮膚をつかって、このレアギンの正体を明らかにし、血清中にごく微量しか存在しないIgEの発見へとつながりました。

 

 このように、様々な過敏反応とそのメカニズムが徐々に解明されてきたことから、1963年にゲルとクームスにより過敏反応が4つの型に分類されました。IgEを介した過敏反応はI型に分類され、これが狭義のアレルギーとして理解されています。また、イソギンチャクの毒や、蜂毒によるアナフィラキシーは、IgEを介するため、I型過敏反応に分類されます。

 

 アレルギーといえば、日本ではスギ花粉に対する花粉症が問題となっています。これは、戦後の復興のためにスギの植林をおこないましたが、スギは40年ほどで成長することから、戦後40年たった1980年代にスギ花粉の飛散量が上昇し、花粉症の人が増えたと言われています。これも、スギ花粉に対するIgEが原因のI型過敏反応です。このような花粉症についても、ヨーロッパでは古くから記載があり、1560年頃のイタリアで花粉症と思われる記載があります。また、1800年代に、イギリスの農夫が牧草を刈り取ったあと、乾燥させるためにサイロに入れるときに、くしゃみや鼻水、鼻づまりなどの症状が現れ、これを枯草熱と呼んでいました。これは、イギリスのボストークが医学的に報告し、後に、ブラックレーが、イネ科植物のカモガヤなどの花粉が原因であることを明らかにしました。このときに植物の花粉が病気の原因となることが明らかとなっています。