自然免疫学の父

 免疫の歴史は「2度無し現象」のメカニズムの解明とともに歩んできました。しかし、「免疫=2度無し現象」という考えに疑問を投げかけた免疫学者の一人がチャールズ・ジェンウェイです。ちなみに、ジェンウェイは世界中の大学の免疫学講義でよく使用されている「ジェンウェイの免疫生物学」という教科書を書いたことでもよく知られています。基礎研究では、あるタンパク質に対する抗体を、ウサギなどを用いて作ることがあります。このときには、このタンパク質を試験管内で生成してウサギの皮下に接種するわけですが、実はタンパク質を接種しただけでは、このタンパク質(抗原)に対する抗体はできません。タンパク質(抗原)を接種するときに、同時に「アジュバント」と呼ばれるものを接種する必要があります。この「アジュバント」というものは菌体をすりつぶしたものを成分としています。

 「アジュバント」は免疫応答の調節活性を有する物質と定義されることもあります。つまり、抗原に対する免疫応答を強めるような効果をもつ物質で、抗原となるタンパク質をウサギの皮下に摂取しても、ウサギは抗原に対する抗体を産生しませんが、抗原となるタンパク質を「アジュバント」と同時に接種することで、免疫応答が強くなり、ウサギは抗原に対する抗体を産生するようになるのです。このような「アジュバント」効果は古くから知られています。しかし、このアジュバントの作用機序については、1990年代の終わりになるまで誰も説明できませんでした。

 

 1989年に、当時のエール大学教授のチャールズ・ジェンウェイが、その後の免疫学の流れを緩やかにではありますが、非常に大きく変える仮説を公に提唱しました。 

 それまでの免疫学は、抗原の認識は、遺伝子の再編を伴い、異物を認識する受容体を発現する細胞のクローン増殖を伴うものであるとするのが主な考え方でした。これは、ランドシュタイナーが、人工的に合成した化合物に対してもヒトの免疫は認識できること、さらに、バーネットがクローン選択説を提唱し、異物と結合する受容体を発現する細胞が選択的にクローン増殖することなどの概念に依存しています。実際に、利根川進らを中心として解明された免疫グロブリンの遺伝子再編のメカニズムは、このような考え方を支持する上での理論的な根拠となります。

 しかし、ジェンウェイは、当時のこのような考え方に鋭く切り込みました。ランドシュタイナーは、化学合成された物質に対しても免疫応答が生じることを発見したことから、「ヒトの免疫系で異物を認識する受容体は、ある特定の微生物を認識するものではない」と考えました。つまり、遺伝子の再編に伴い非常に多くの抗体遺伝子が生まれ、その中から偶然に異物と認識する抗体を発現するB細胞だけがクローン増殖するという考えです。しかし、このようなランドシュタイナーの実験に基づいた考え方をジェンウェイは、「ランドシュタイナーの誤謬」と名付けました。さらに、ランドシュタイナーの実験結果には、「免疫学者の知られたくない秘密(The immunologist's dirty little secret)」があることを指摘します。彼は、当時の免疫学者の誰しもが知っていながら口にしなかったことを改めて指摘しました。それは、「ランドシュタイナーの実験では、アジュバントを使用している」ことです。

 当時、免疫応答を誘導するには抗原と共にアジュバントを同時に投与する必要があることは広く知られていました。このアジュバントの作用については、抗原の局所での濃度を上昇させたり、あるいは、マクロファージへの抗原の取り込みを促進するのではないかとの考えがありました。そのため、「ランドシュタイナーの実験でアジュバントを使用していたこと」について、誰も疑問を挟まなかったのです。しかし、この誰も疑問にしなかった点に着目し、ジェンウェイは「ランドシュタイナーの誤謬」を指摘します。

 講演の内容をまとめた論文の中で、ジェンウェイはトーマス・クーンによる「科学に於けるパラダイムシフト」について言及しています。トーマス・クーンによるパラダイムシフトの考え方では、科学はある「革命的な発見」によりそれまでの古い科学が捨て去られると考えられていました。しかし、タルマージらの研究により、免疫学ではパラダイムシフトではなく、通常の科学的な研究の「漸近的な進化」により発展すると指摘されていることなどにも言及し、なぜジェンウェイは「免疫学における進化と革命、近づく漸近線?」をタイトルとした論文の中で、次のように話を展開しました。

 

 遺伝子の再編のメカニズムを獲得する以前の進化的に原始的な免疫応答では、どのように微生物を認識したのだろうか。微生物に存在し、ヒトには存在しない微生物特有の成分を認識する受容体があるのではないか。このような微生物特有の成分であり「病原体関連分子パターン」と呼ばれる物を認識する受容体があって、これを「パターン認識受容体」と私は名付ける。この「パターン認識受容体」がヒトにも存在するのではないか。

 

 論文の中で、ジェンウェイは丁寧に説明しながら、なぜ「パターン認識受容体」が存在し、これがヒトの免疫応答に重要な働きをすると考えたのかについて、ジェンウェイは説明します。しかし、当時ジェンウェイが「パターン認識受容体」の存在を予言しても、その実態は不明でした。まるで、メンデルが遺伝の法則を提唱したときのように誰もがその存在を信じたわけではありませんでした。

 

 このジェンウェイの予言が正しかったと広く認められる日は1996年に唐突に訪れました。1996年、フランスの科学者であるジュール・ホフマンが、ショウジョウバエのTollと呼ばれる分子が、ショウジョウバエの免疫応答に関与することを明らかにしたのです。つまり、進化的には遺伝子の再編というメカニズムを獲得していない動物で、免疫応答に関与する細胞表面の受容体を報告しました。しかも、このショウジョウバエのTollとよく似た遺伝子が、ヒトのゲノムにも存在することも当時のゲノムプロジェクトにより明らかとなったのです。そして、1998年にジェンウェイは、ついに、ヒトのToll様受容体の一つが、グラム陰性菌に特有の成分であるリポ多糖を認識することを発表しました。この時が、免疫学に於ける進歩と革命の漸近線が交わった歴史的な瞬間でした。

 

 2000年代に入るとこのパターン認識受容体が次々と明らかになりました。ヒトではToll様受容体(Toll-like receptor: TLR)は10種類存在し、それぞれTLR1からTLR10と呼ばれています。ジェンウェイが最初に機能を明らかにしたものはTLR4と呼ばれています。日本人では大阪大学の審良静男教授らのグループにより、TLR9が非メチル化CpGと呼ばれる病原体間パターンを認識することが報告されています。一方で、Toll様受容体だけではなく、RIG-I様受容体(RIG-I-like receptor: RLR)と呼ばれるパターン認識受容体が存在することも京都大学の藤田尚志教授らのグループにより明らかとなりました。現在までに数多くのパターン認識受容体が報告され、それぞれがどの病原体関連分子パターンを認識するのかが明らかとなっています。

 ジェンウェイは講演の中で、ラルフ・スタインマンらが発見した樹状細胞において、このパターン認識受容体が重要な役割を果たすことも予言していました。現在では、これらのパターン認識受容体が病原体関連分子パターンを認識することで樹状細胞の成熟化が進み、共刺激分子の発現が上昇することで、抗原提示によりナイーブT細胞がプライミングされることが明らかとなっています。自然免疫は2011年にノーベル生理医学賞の対象となりました。しかし、ジェンウェイは2000年代初頭に癌で亡くなったために受賞していません。また、樹状細胞を発見したラルフ・スタインマンも残念ながら受賞の数日前にこの世を去ってしまいました。

 自然免疫が解明されるまで、免疫での自己と非自己の認識は、遺伝子の再編を伴う受容体の再構成とクローン選択であると理解されていました。しかし、現在では、このメカニズムは獲得免疫で働き、自然免疫では、自己と非自己を認識するのはパターン認識受容体であり、これが、病原体に特有の成分である病原体関連分子パターンを認識することが知られています。