がん免疫療法の歴史

  がん細胞が免疫応答により破壊され退縮するという予測は100年以上前からありました。古くは、アメリカのニューヨークがんセンターの外科医だったウィリアム・コーリーという外科医が、1891年に両頭部、咽頭に癌をもっている患者さんに、患者の同意のもとで丹毒と呼ばれる化膿レンサ球菌(Streptococcus pyogens)を患者さんに意図的に感染させたところ、患者さんは高熱を出しましたが同時にがんは完全に消失したという報告があります。これは、コーリーは、その前年に、一人の移民のガン患者が、たまたま丹毒に感染したところ、患者が高熱を出したあとに、ガンが消えていくのを目の当たりにしたためです。その後、殺菌したStreptococcus pyogensSerratia marcescensから作られた「コーリーワクチン」や「コーリーの毒」と呼ばれているものを開発しました。現在では、これは、菌の培養液によりTNF-αと呼ばれるサイトカインが産生されたことによるものではないかと推測されています。しかし、その後は、手術、抗がん剤などの開発などの治療法が発達したことにより、「コーリーワクチン」が、がんの治療法としては重要視されることはありませんでした。また、副作用が強く、ドイツのFederal Institute for Drugs and Medical Devicesが有効性を再現出来なかったとも云われています。

 

 細菌由来の成分を治療に使う試みはその後も幾つか行われています。結核感染者にはガン患者が少ないことを日本医科大学の丸山千里が気づき、結核菌の抽出物から丸山ワクチンと呼ばれるがん治療ワクチンを開発しました。丸山らは、このワクチンを使用することで、末期がんの患者の中にはガンと共存して何年も元気に暮らす人もいたと報告しています。しかし、その理論的根拠が当時の知識では全く説明できなかったことから激しい批判にさらされることもありました。現在でも、日本医科大学付属病院で丸山ワクチンの癌患者に対する治験が行われています。一方で、1921年にフランスのパスツール研究所で単離され結核予防ワクチンとして使われている弱毒化結核菌(BCG)の、細胞骨格成分(CWS)のみを取りだしたBCG-CWSと呼ばれるものも、がん免疫療法の一つとして大阪大学を中心として臨床試験が行われました。がん切除後の患者に再発を防ぐ目的で抗がん剤の代わりにBCG-CWSを投与する臨床試験が行われました。また、抗がん剤よりもBCG-CWS投与の方が、副作用が少なく、患者のQOLQuality of Life: 生活の質)を向上させることが目的として臨床試験が実施されることもありました。このBCG-CWSのもととなる弱毒結核菌は、表在性膀胱がんの免疫療法の治療薬として現在も使用されています。

 

 細菌だけではなく、ウイルス感染が引き金となる、がんの症状の緩和も古くから報告されています。1896年には、骨髄性白血病の42才の女性患者が、インフルエンザ感染症のあと、脾臓と肝臓の肥大が正常の大きさにもどり、増加していた白血球数が70倍も減少したとの報告があります。また、1953年の報告ではリンパ腫を患っている4才の男の子が水痘に感染したのち、数日の間で肝臓と脾臓の大きさがほぼ正常値にもどり、白血球数も大きく減少したことが報告されています。その後も、白血病やバーキットリンパ腫などの患者で麻疹ウイルスの感染後に、がんの病態が回復したことが報告されています。このことから、がん患者にウイルスを意図的に感染させる臨床試験も古くは行われていました。

 1949年には22人のホジキンリンパ腫患者にB型肝炎ウイルスを感染させる試みが実施され、4人に腫瘍の退縮が観察され、7人にある程度の効果が観察されたものの、14人が肝炎になり1人が死亡しています。また、1974年にはムンプスウイルスを90人の末期がん患者に感染させたところ、37人に顕著な治療効果を認めたとの報告があります。

 

 このような微生物由来の成分が、どのようにがん細胞に対する免疫応答を強めるのかについては、長らくその理論的根拠が不明でした。また、効果がある人とない人の違いについても不明でした。現在は、このような微生物由来の成分が自然免疫応答を活性化することで、がん細胞に対するT細胞の活性化を促進していると考えられています。

 がん細胞に対する免疫応答が生じるには、がん細胞が抗原を発現していることが前提となります。がん細胞はもともと自己の細胞ですので、自己以外の抗原を発現しないと考えることもできます。しかし、1950年代にルイス・トーマスらは、突然変異によりがん化した細胞は、異物として免疫により認識されるのではないかと提唱しました。1953年にはFoley EJらが実験的に、マウスの腫瘍に対して免疫応答が生じていることを報告しました。また、1965年には、フィル・ゴールドらが、大腸がんの患者の血清中には癌胎児性抗原が存在することを報告しました。この癌胎児性抗原とは、胎児期にしか発現しないタンパク質が、がん細胞でも発現しているものです。この胎児期にしか発現していない分子が、がん細胞で発現している理由は、がん細胞の遺伝子変異などにより、発現が抑えられているはずの遺伝子の抑制が壊れてしまいがん細胞で発現するためです。

 このように血清中には、癌胎児性抗原があることから、当時の研究者は血清の癌胎児性抗原の有無を調べることで、がん診断ができるようになると考えました。しかし、他の種類のがんでは、この癌胎児性抗原をださないものがいたために、この診断法が広く普及するにはいたらなかったようです。このあとの研究の進展により、がん細胞は胎児期にしか発現しないタンパク質を発現すること、遺伝子変異によりアミノ酸配列が変化したタンパク質を発現すること、このようなタンパク質が抗原として認識されるということがわかってきました。

 1991年にはベルギーのテリー・ブーンらが、メラノーマのがん抗原としてMAGE-1を報告しました。その後も多くのがん抗原が報告されています。理論的には、このがん抗原で患者さんを免疫すると、がん抗原に対する免疫応答が活性化し、がん細胞を破壊してくれることが期待されます。実際に、がん抗原を利用したがんペプチドワクチン療法とよばれる免疫療法が数多く臨床試験で試されました。しかしながら、今のところはまだ顕著な効果を上げるには至っていないようです。そのため、医師の間では長らくその有効性に対して懐疑的でした。

 

 微生物由来の成分が、がんを退縮させるという現象の発見は、がん免疫療法の開発の一つの大きな流れの一つとなっていますが、これとは異なる考え方からも、がんの免疫療法が開発されています。その一つが、最近になり承認されたオブジーボと呼ばれる薬を用いた免疫療法です。オブジーボは免疫チェックポイント阻害薬の一つですが、これは、がん細胞による細胞傷害性T細胞の抑制を解除します。がんペプチドワクチン療法では「がん細胞が発現するがん抗原で、患者を免疫することで、がん細胞に対する免疫応答を強めよう」という発想ですが、免疫チェックポイント阻害薬では、「がん細胞による免疫抑制を解除しよう」という発想です。がんペプチドワクチン療法がこれまで顕著な成績を収めることが出来なかった理由の一つとして免疫チェックポイントが存在していた可能性がありますので、今後は、免疫チェックポイント阻害薬とがんペプチドワクチン療法を併用することで、より優れたがんの免疫療法が開発されるかもしれません。