新型コロナウイルスのファクターXとは何か?

 新型コロナウイルスに関連したファクターXという言葉は私が知る限り、京都大学の山中伸弥先生が最初に使われたと記憶しています。新型コロナウイルスによる死亡率などの数字が日本では欧米に比べて低いため、「なにか知らない要因があるのでは?」と考え、ファクターXという言葉を使われたようです。

 このファクターXとは何か? ということが研究の世界でも話題となっています。すでに「ファクターXを明らかにした!」というような論文や研究の提案書もでまわっています。確かに日本は欧米などと比較して致死率は低いことは事実のようです。例えばWorldomaterというウェブサイトのコロナウイルスのページ(https://www.worldometers.info/coronavirus/)に記載の情報をもとに計算すると各国の致死率は次のようになります。 

(2020年10月16日のデータをもとに計算しました)


国によって検査体制が異なることを考えると、検査で陽性となった数と実際の感染者数には大きな違いがあるケースもありますので、一概に比較できませんが、欧米とアジアで死亡率に違いがあるため何らかの要因によって死亡率に差があるように思われます。このファクターXの要因として考えられる可能性は次のようなものです

 

(可能性1)医療レベルの違い

(可能性2)遺伝的な違い

(可能性3)既往歴の違い

(可能性4)その他の要因

 

 医療レベルについてはイギリスやフランスなどの先進国で死亡率が高い理由が説明できませんので、可能性1は低いように思われます。可能性2の遺伝的な違いは重要かもしれません。少し専門的な話になりますが、私たちが持つHLA遺伝子の違いは特定の感染症に対する免疫応答の強さに大きく影響します。そのため、可能性の一つとしてアジアでは新型コロナウイルスに対する免疫応答が生じやすいHLA遺伝子を持っている人が欧米と比べて多い可能性があります。また、免疫には他に様々な遺伝子が関連していますので、アジアでは新型コロナウイルス感染に対して有効な免疫応答が生じる遺伝子を持っている人が多い可能性があります。おそらく遺伝的な違いについては今後の研究で全貌が明らかになってくると思われます。

 

 可能性3の既往歴の違いとは、アジアでは新型コロナウイルスに似たウイルスに以前感染した人が多いために、ある程度の免疫ができている可能性です。アジアと欧米で比較した研究成果はまだでていませんが、新型コロナウイルスが現れる前に採取した人の血液の中には、新型コロナウイルスに対して反応する抗体があったりT細胞がいたりする報告がありますので、もしかするとアジア人は欧米の人に比べて以前からコロナウイルスに対して免疫を持っていた可能性もあります。

(誤解が生じないように説明をすると、2019年以前に新型コロナウイルスに対する抗体を持っていた人は、通常の冬風邪の原因となる別のコロナウイルスに対する抗体が、新型コロナウイルスに反応していると考えられています)

 

 可能性4として一時期にBCG仮説がテレビなどでも話題となりました。これはBCGワクチン接種を子供の頃に受けている国では新型コロナウイルスの致死率が低いことに由来します。しかし、この可能性はほとんどないと個人的に思います。また日本ワクチン学会ではBCGが新型コロナウイルスに対して有効かどうかについては科学的に明らかになっていない旨の声明をだしています。BCGが有効かもしれないとの根拠のない噂話によって幼い子供がBCGワクチンを受けることができない事態になれば深刻な問題となります。

 このBCGの話がでた根底には自然免疫記憶という現象があります。BCGワクチンはもともと結核の予防ワクチンです。ところが最近の研究からこのBCGワクチンが自然免疫記憶を誘導することがわかりました。自然免疫記憶とは、一度ある感染症に感染するとしばらくの間は強い自然免疫応答が生じることです。そして、この自然免疫記憶は従来の免疫記憶とは異なり抗原非依存性という特徴をもっています。

 簡単に説明すると、インフルエンザワクチンはインフルエンザを予防しますが結核は予防できません。このように特定の病気だけを予防できることを獲得免疫と呼びます。一方で自然免疫では病気の種類を選びません。つまりBCGワクチンは結核を予防するのですが、結核だけでなくインフルエンザの感染も予防するという結果が動物実験で報告されています。

 ただし、この自然免疫記憶は一年しか持たないことが知られています。つまり非常に忘れやすい記憶なのです。そのため子供の頃に受けたBCGワクチンによる自然免疫記憶は子供のうちに消え去ってしまい大人になっても残っていることはありません。その理由として獲得免疫では生体内で数十年受け継がれる記憶B細胞や記憶T細胞によって記憶が受け継がれるのに対し、自然免疫では生体内で数ヶ月しか存在しない単球によって自然免疫記憶が受け継がれるからです。

 このような記憶を担う細胞の種類により、子供の頃に受けたBCGワクチンがコロナウイルスに予防的に働くことは現代の免疫学ではあり得ない現象となります(ただし、未知のメカニズムで自然免疫記憶が受け継がれている可能性は否定できません)。

 

 BCG以外のその他の要因としては、やはりマスクの効果があるのではないでしょうか? 欧米とアジアでは文化的な違いからマスクに対する抵抗感が違うようです。日本では以前から花粉症対策としてマスクをする光景はよくみられましたが欧米ではマスク反対運動のようにマスクをすることに抵抗感を覚える人が多いようです。

 

「マスクではウイルスを防ぐことはできないよ」

 

そのように言われることが多くあります。たしかに、ウイルスは非常に小さいのでマスクを簡単に通り抜けることができます。しかし、マスクは空気中の水滴や塵にくっついていることが多いためにマスクをすることで体の中に入ってくるウイルスの量を減らすことができます。そして、このウイルスの量を減らすことがとても大切なのではないかと思います。なぜなら、あまり知られていませんがウイルスも毒と同じで致死量というものがあるからです。

 

 「ウイルスの致死量」というと何のことかわからないと思われるかもしれませんが、毒には致死量があることはよく知られています。実は、ウイルスにも致死量があって、致死量以上のウイルスが一度に体内に入ると死亡しやすいのに対し、致死量以下ではあまり死なないことが動物実験からわかっています。そのため動物実験をする研究者は最初に実験動物に対するウイルスの量としてLD50(lethal dose: LD)という値を決めます。このLD50とは感染したマウスの50%が死亡するウイルスの量になります。例えば下の図は私たちの研究室の論文の図です。

 

 この図は、実験用のマウスにポリオウイルスを感染させた後の生存率を調べたものです。ポリオウイルスは小児麻痺の原因となるウイルスの一つで日本ではほとんど患者はいません。ポリオウイルスは通常はマウスには感染しませんが、PVRという遺伝子を持たせたマウスは例外的にポリオウイルスに感染しやすくなります。黒の四角のグラフを見ていただければわかりますが、図のBでは20万個のポリオウイルスを一匹のマウスに感染させると5日後には全てのマウスが死亡します。しかし、その1/100となる200個のウイルスを感染させた場合には(図C)二週間たっても8割以上のマウスが元気にしています。どちらも同じポリオウイルスに感染していますが、感染したからといって必ず死亡するわけではありません。

 このような現象はインフルエンザウイルスでも見られますので、おそらく新型コロナウイルスでも同じだと思われます。ウイルスは体内で増殖するため少しでも体の中に入って感染してしまうともうダメだと思いがちですが、実は毒などと同様に一度に体に入ってくるウイルスの量を減らすことで死亡率を下げることができるのです。そのように考えるとマスクなどで体の中に入ってくるウイルス量を減らすことが死亡リスクを下げる大きな要因になることがわかります。ファクターXの正体はわかりませんが、少なくともマスクをすることはとても大切だと思われます。

 

 最後に蛇足になりますが左の図の白い四角のグラフは私たちの研究室で発見したTICAM-1遺伝子を欠失させたマウスです。このマウスでは200個のウイルスでも10日後には全てのマウスが死亡します。このことから遺伝的な要因も非常に大きいと思われます。

 

(図の出展:左の図はOshiumi H et al J.Immunol. 2011, 187: 5320-5327の図2を改変したものです)


2020年10月20日改定